デュエルを始める直前に、対戦する2人のデュエリストたちは互いに自分のデッキを相手に渡し、相手にシャッフルしてもらう。デッキのカードの並びはデュエルの中で唯一のランダム性であり、そこにイカサマが無いよう相手にシャッフルさせるのだ。なので本来シャッフルはデュエル直前の1回きりであるべきで、デュエルが始まった後は一切のランダム性が無い決定論的過程であるべきなのだ。
ところが実際の遊戯王では、デュエル中にデッキを自分でシャッフルし直したり、デッキの中から任意のカードを手札やフィールドに取り出したりできる効果を持つカードが多数見受けられる。これによりデッキの神聖さは失われ、最初のシャッフルの厳格な儀式が無意味になるだけでなく、自分のデッキを自分でシャッフルすることによるイカサマの余地さえ発生する。
このデッキの神聖さを汚すカード効果は原作の遊戯王にも存在するのだろうか? そう思いアニメを最初から観ているが(コミック全巻大人買いする余裕は無いのよ!)、最初のデュエリストキングダム編でもそのような効果が複数確認された。しかもいずれも主人公である闇遊戯の手によって行われている。ひとつは、フィールドのモンスターをすべてデッキに戻してシャッフルし直す場面。もうひとつは、デッキから任意の魔法カードを手札に加えてデッキをシャッフルし直す場面。前者はデッキからカードを取り出すわけではなく、デッキにカードを戻すだけだから許されるという設定なのだろうし、後者は極めて限定的な条件でのみ成立するものであるため、条件の厳しさゆえに許されているという設定なのだろう。
しかし原作以後のアニメや現行の遊戯王のカードセットでは、この設定が拡大解釈され、いとも簡単にデッキから任意のカードを手札やフィールドに取り出しデッキをシャッフルし直すカード効果が氾濫・濫用されている。結果的に手札とデッキの区別が失われ、手札がどうであろうとも、いつでもデッキから任意のカードをフィールドに出せるようになってしまっている。
これではいけない。最初のコンセプトが失われてしまっては、遊戯王の名を冠するに値しない。原作者がこの現状を許していたのかどうかは知らないが、たぶん草葉の蔭で泣いている。
まぁ、まだ遊戯対ペガサスの辺りまでしか観てないから、のんびり続きを観るわ。
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